planet A

Have a great 'NOW'. ~宇宙の果てから地球を眺める自由人のひとりごと~

宇宙天気予報 

子どもの頃は
宇宙飛行士になるのが夢だった

それがダメなら
ジェット機パイロット

けれども大人になるにつれ
それがどれだけ身の丈を知らない夢であるか
わかるようになった

それでも

もともと 目に見えない世界やエネルギーに敏感で
人とは少し(だいぶ?)違う世界観を持っていたので

辿り着くその方法の違いこそあれ
結局わたしは この大いなる宇宙根源を思い出す運命だったんだろうなと
ときどき思うことがある

それはさておき …「宇宙天気予報」のこと

「寒くなると古傷が傷む…」という言葉があるけれど
最近耳にする「低気圧が近づくと頭痛がする・耳鳴りがする」など
いわゆる「気象病」と呼ばれているものも同じようなことで
それは「わたしたち人間は自然と共鳴している」ことの証であると思う

低気圧の動きもそうなのだが
わたしの場合「宇宙全体の様子」を観ることで
心身のコンディションが見えてくることもある

その際 たまに使わせていただいているのが
この「宇宙天気予報

専門家ではないので
学術的なことはサッパリなのだが

たとえば「なんだか体調がイマイチだな…」と感じたり
「よし、流れに乗ってきたな!」と思うときなど
その時々に宇宙天気予報を覗くようにすると
自分のなかの「ルール」みたいなものが見えてくる

「あぁ、この現象が出てきたから、ちょっとペースダウンするかな」とか
「この領域のレベルが上がってきたから、世の中の動きも変わるだろうな」とか

地道といえば地道だし
暇人といえば暇人

けれどもやはり
この大いなる宇宙システムの一部としてあるヒューマノイドだから
宇宙の動きと連動しているのは確か

「降水確率が80%じゃ、洗濯物乾かなくても当然か」
というのと同じような感覚で

「宇宙がいまこんな感じなら、自分がこんな感じでも、当たり前か」と
身に起こるすべてをジャッジすることなく
あるがままのいのちに落ち着くことができる

ヘタな占いを見るより
よほど簡潔に心が安堵する


本日の東京は雨
久しぶりに宇宙天気予報を覗いてみた

太陽領域と電離圏領域・・・

なるほど
社会情勢も自身のコンディションも
わたし独自の統計通り…なのかもしれない


雨もまた佳し
あるがままのいのちに落ち着こう

 

今日もありがとう
みなさまも素晴らしき「いま」を

swc.nict.go.jp

 

いまここへの感謝

いまさら 新年・・・などと書くと
かなり間が抜けた感じがするのだが
遅ればせながら 今年もまた 新しい年を迎えられたことに感謝しよう

例によって先の大晦日は いつもの場所へ幸先詣に行き
「いまここに在ること」への感謝を伝えてきた

日本人よりもむしろ 海外からの観光客が多く
流行りの病の影響もいよいよ本当に薄らいできたのだなぁと
あらためて感じた

毎年 幸先詣で感じたインスピレーションをシェアするのが
長く続いた(別ブログでの)恒例行事(?)だったが
なんとなくもう それをする気にならなくなってしまった

もちろん行けばいまでも
メッセージ・ビジョン等は降りてくるのだが
それをここでひっそり書いたところで どうなんだろうか・・・と

(とか言いつつ、後日ここにこっそり書くかもしれないが・・・)

言葉と言うのは実に不便なツールで
慎重に言葉選びをしないと誤解を招き
伝えたいことの本質がひっくり返ってしまうため
視たビジョンを文章に纏めるのも 意外と手間暇かかる作業なのだ

(例えば一人称の表現ひとつとってみても
 「わたし」「私」「ワタシ」・・・と 音は同じであっても
 表記を「ひらがな」「漢字」「カタカナ」に変えることで
 そこに 繊細かつパワフルなエネルギーの違いがあることをわたしは伝えたい)

そしてなにより
なんだかたいそうな理屈を並べてはいても
そもそも
そのメッセージを受け取っているわたしも
宇宙根源と共鳴しているわたしも
実はどこにも存在していない

存在していないわたし(自我)が
存在していない人生ゲーム(幻想)を感じているのだから
なんともこの世は「ユーモア」に溢れた世界だ

そしておそらく
遍くすべての方々が その人生を通して
わたしが受け取ったメッセージ・ビジョンと同じようなことを
どこかで感じ取っているはずであるだろうから
わざわざここに書き記す必要もないのかな・・・と



そういえば この年末年始…なぜか不思議と
魂の片割れともいえる友が暮らす遠き国の
穏やかで爽やかなエネルギーがずっと わたしを包んでいた

すべてはひとつで
すべて「いまここ」

たとえマボロシだとしても
この美しき世界に こころから感謝しよう


今日もありがとう
みなさまも素晴らしき「いま」を

情報と食べ物は似ている

もともと 新聞・テレビ・SNSなどの情報に あまり興味がないほうなのだが
ここ1,2年…どうしても見聞きする機会が増えてしまった

感染症対策やらなにやら…
いろいろ気を配らなくてはならないご時世だから しょうがないか

もちろん「あの情報は正しい」「この情報は間違っている」とか
そんなことを 今日ここで 言いたいわけではない

ただ…いつも思うのは「情報と食べ物は似ている」ということ

良いものを摂取すれば それは良い栄養素として
血となり肉となり 自己成長に繋がるかもしれないが

そうでないものを摂取したときは
その逆をゆく…

もちろん なにを以って良いとするか
その判断(直感)がそもそもズレていると
栄養もなにも あったものじゃないのだけれど


ま、どうでもいいことなんだけれど
ときおり そんなことを思ったり思わなかったり…
そんな日々である


今日もありがとう
みなさまも素晴らしき「いま」を

幸先詣ノススメ ~明治神宮参拝と未来の展望など~

前回の記事からだいぶ時間がたってしまった
(時間がたつどころか 年を越してしまった)

書きたいことはいろいろあるのだが
五次元情報を三次元ツールである「言語」に変換するのは
なかなか手間のかかる作業だったりする(…なんて、少し言い訳を)

まるで そのモヤモヤとした想いを振り払うかのように
昨年秋ごろから 大掛かりな大掃除にハマってしまい
気が付いたら除夜の鐘が響く日を迎えていた

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