planet A

Have a great 'NOW'. ~宇宙の果てから地球を眺める自由人のひとりごと~

共鳴という感覚 ~AI化する人間たち / BWV588を聴きながら~

わたしがこどもだったころは スマホなんてものはなかった

だから当時…例えば 天気予報などは
テレビのニュースや新聞から得た わずかな情報を頼りにするしかなかった

それでも 人としての本能みたいなものは
言葉で説明できない「なにか」をわかっていて

雲の様子を見て 雨が降りそうだとわかったり
そのにおいで どこかで雨が降り出したことを感じたり
雨雲の様子から 通り雨だと確信したり

もちろん いまでもその「なにか」は働いているのだが
昔はもっと いま以上に
自身の経験値(勘)…その「なにか」…から未来を割り出していた気がする

季節の移ろいも なにもかも
頭(理屈・情報)ではなく この身の感覚で…この世界を知っていった

近頃ではスマホの雨雲レーダーが「あと〇分後に雨が降り出します」などと
こちらが頼んでいなくとも勝手に教えてくれたりする

非常に便利だし これがまた高性能で
(もともとわたしは 出先で雨雲に遭遇しないよう導かれる体質なのだが)
突然の雨に濡れるということが ほぼなくなった

そのせいか こどもの頃に比べると
人間としての「勘」を働かせる機会が減ってきてたかもしれないと思うときがある

世に入り乱れる情報には あまり興味はないほうなのだが
それでも 一昨年某国から始まった新型ウィルス感染拡大の絡みで
どうしても意識がそちらに向きやすくなってしまい

空の色だとか 風の音だとか 花や緑のかおりだとか
この大自然・大いなる宇宙のエネルギーに共鳴することが出来なくなっていたかもしれない

世の中の変化(進化)もどんどん加速され  いたるところでAI化が進み
いままで人間が担ってきたものが これからますます
彼ら(という呼び方でいいのか)へ スライドされていったとき
大自然・大宇宙と共鳴する感覚を忘れかけているかもしれない わたしたちは
はたして幸せに暮らしていけるのだろうかと ふと思った

AIが人間化してきていると言われたりすることがあるが
人間そのものが AI化してきているのかもしれない

まぁでも… 秋の空を眺めながら こんなことを考えるのは
辛うじてではあったとしても
大いなる宇宙と共鳴する感覚が まだこの身に 残されているという証なんだろうか




今日もありがとう
みなさまも素晴らしき「いま」を


そして久しぶりにバッハなど…

youtu.be