planet A

Have a great 'NOW'. ~宇宙の果てから地球を眺める自由人のひとりごと~

自由からの解放 ~自由意志が存在しないかもしれないという安堵感~ BWV727を聴きながら

眠る前にパイプオルガンの音色を聴くことが
最近の日課になっている

わたし自身 遥か遥か大昔…
パイプオルガンに深い縁があったせいかもしれないが

聴き始めると
大いなる宇宙が悦びの中で共鳴してくるのを感じる

そして 楽曲の中から数式があらわれる

音はそれぞれ 
異なった色を持ち
性格(性質・役割)を持ち

音階がこの空間に
幾何学模様を浮かび上がらせる

 


この世のすべては 完璧なプログラムから

だとしたらそこに 人間の自由意志は
存在できないのかもしれない

ひと昔前のわたしだったら
それを嘆き否定しただろう

確かに この人生において
なにか避けられない宿命だとか役割だとか
そんなものに出くわすことがあるけれど

どんな道を選んでそこに辿り着くのか
そしてどんな結果を選ぶのか
それぐらいは自由に選べると思ってきた
いままでは…

けれども
毎夜このパイプオルガンの音色が創り出す
宇宙の方程式を感じるごとに

やはり わたしたちは
自由意志なと一切持ちあわせていないのかもしれないと
少し思い始めた


考えてみたら
あまねくすべての人生が
大いなる宇宙根源によって隅々までプログラミングされている
完璧な創造物だとしたら

すべてを宇宙に明け渡してしまえば
オートマチックに最高最善の世界へ導かれる

あのとき ああすればよかった…とか
これからどうなってしまうんだろう…とか
人間特有のヘンな反芻をすることもなく

ということは

自由意志など存在していないこの人生を
(自由意志など存在していないからこそ)
思いっきり「自由に」生きることが出来るような気がした

両手を拡げ
のびのびと
軽やかに

言葉にすると矛盾してるのだが


なんとなく空を見上げることも
いつもと違う道を通って駅に行ってみることも
本を読みながら あくびをすることも
PCに向かってタイピングする その速度も
ひとくち飲んだコーヒーの その量も

何の考えもなく
なんとなく ただそうなった と思えるもの
それさえもが…

大いなる宇宙の方程式にあてはめられた
計画通りの完璧な「あらわれ」


「わたし」が完全に消えたとき
わたしは自由に存在することができる

そしてそれは
すべての苦しみからの解放を意味する


もちろんこれは
わたしの視座から わたしが勝手に感じたこと

正しいかどうかはわからない

それに
結局 宇宙根源っていうのは自分自身だから
自分で自分の人生をプログラミングして計画通りに生きている…と
言えなくもない

(それをある意味 自由意志と呼ぶのかもしれないし)

ただ一つだけいま ハッキリと言えることは
この大いなる宇宙が
わたしにまた何かを伝えたがっているということ

始まりなどもたない魂の旅路は
終わることもなく永遠に在り続けてゆく




☆今宵はこの曲…

youtu.be

 

今日もありがとう 
みなさまも素晴らしき「いま」を